やっぱり自分の普通は人の普通ではないんだなぁと感じたこと。

目次

<意見の食い違いってありますよね。 その背景には色々なものがあるから「こうしたら意見が食い違う!」なんてことは決めれないんですけど。

自分の考えは柔軟にあったほうがいいですね。

そんなことについてちょっと考えてみました。

そこに当たり前があるか

自分にとって「当然」なことってやっぱり空気のように当然であって、もう頭にキッチリ組み込まれていて無意識な状態。

それを人に伝えると、その人にとっての当然じゃなかったらもちろん話が噛みあわないし、そのまま進んでいくとどんどんややこしくなってきます。 自分にとって「当然」だと思っているので、それを「間違い」あるいは「この人の当然ではない」と認識出来ないからこういうことが起こるんですよね。

文字だけの会話は「わかりにくい言葉」に注意しよう! | TRAVELING

以前こんなことも書いたりしましたが、やはり文字だけではなく、直接話していてもこういうことは起こりえます。(文字だけの方が噛みあわない可能性は高いですが)

生まれた土地や育った環境によって「当然」って色々あります。

僕は伊丹空港(大阪国際空港)にほど近いところに住んでいて、飛行機なんてめちゃくちゃ身近なものです。 乗る回数はさほど多くないにしても、真近くで見ることなんて普通です。

例えば遠くに住んでる友達を僕の地元に連れてくると、飛行機を見ただけでテンションが上がるわけです。

そのリアクションに「え?」ってなったりします。 僕の生活に染み込んで意識すらしていない「すぐそこに飛行機がいる」ことはその友達にとっては普通ではないんですよね。

そういえば、僕はどこにでもあるような公立の小学校中学校に通いましたが、空港の近くに住んでいるのでクーラーがついていました。これは騒音のために窓を閉めなければならないからです。(実際は開けっ放しでもそこまでうるさくないんだけど) 空港から離れた小中学校は扇風機しかなかったりするので、クーラーがついてるってことを羨ましがられたりしましたね。

(今の小中学校はどこにでもクーラーついてるのかはわかんないですけど)

そういった僕の「普通」はやっぱり他の人にとっては普通じゃないですよね。空港近いあるあるなんかあるんかな。

「普通は普通じゃない」という視点を持てれば、もっと分かり合えるんじゃないかなぁってなんか思った次第でした。

狭い通路を人とすれ違うとき、お互い半身になればスッと通れるじゃないですか。お互いがそのままの状態ですれ違えばぶち当たる。 そんな感じのこと。

おあとがよろしいようで。

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