石巻で被災された方に話聞いてたら女川町まで連れていってもらって震災を体験した話。「なんにも変わってない」

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石巻に行って、3年前の東日本大震災で被災したところを見て来ました。 海の近く、日和山公園のふもとのところは家もなくて、まだまだなんだなってのを思い知らされました。 その辺りを歩いていると、家のあった場所で草むしりをされている方がいらっしゃったので、話を伺っていると、 「震災がどんなものだったかを1番体験できる場所に連れてってやろうか?」 と言ってくれたので、せっかくなので連れていってもらいました。

高台ってなんだ?

女川町立病院

連れていってもらったのは女川町立病院。

女川町立病院は海抜は16mあります。この写真を見てもらえればわかりますが、左手奥が海で、かなり下にあります。

ちなみに目の前にある建物は「元」警察署。 倒れてます。緑のところが屋上です。 これもすげーんですが…

本題に戻ります。

この女川町立病院という16mの高台にあるところに避難した人は、「病院から」の波にさらわれて流されていったそうです。 16mの高さにある病院ですが、その病院の2m当たりのところに津波の跡があるらしいのです。

[caption id=“attachment_10446” align=“alignnone” width=“620”]女川町立病院 病院側。こちらから波が来て海側にさらわれた。[/caption]

病院からの波というのは、左手にある海から来た津波が画像でいうところの左手前方向にいき、山を駆け上ってこの女川町立病院側から水がきた、と。 高台にきて、「逃げれた〜」と津波を見ていたら後ろから持って行かれてしまった、と。

こんな高いところにいても意味がなかったわけです。

「高台なんて津波の前では意味がないから、安心しないでどんどん高くへ高くへと行ってほしい。」 そう言われました。

体験して、そして伝えてほしい

そして石巻の駅まで連れて帰ってきて頂きました。こんなことを「気が向いたら」やってるらしく。 僕で4人目だそうです。

その方が強く言ってたのが**「色んな人に伝えてほしい」**ってこと。 「16mの場所でも意味なかった」ってことを伝えてほしいと。

「石巻の海沿いで何もないとこみても『何もない』で終わってしまうから、こうして気が向いたら1番わかりやすいとこに連れていってる」とのこと。

前はもっとインパクトのある景色が広がってたみたいで、震災あって1週間とかでも、車に取り残された遺体がたくさんあったと。見ないようにしても目に入るレベルで。 トラックが4台重なってたものとか。

石巻の沿岸部は1200世帯ぐらいがいたけど、今は30世帯しかいないそう。

そんな何もない平地なところを見ても、「あぁすごいことがあったんだな」で終わるだろう?って。衝撃的でした。

先人の教えを守れ

石巻の辺りで1000年前ぐらいに大地震があって、壊滅的な被害を受けたらしいです。 平安時代の貞観地震がそれに当たります。

その15年前後に大きな出来事があったようです。(調べたけど出てこず)

阪神淡路大震災が1995年で、その16年後の2011年に今回の大地震。 1000年前の出来事にプラス1000年しただけで、これに近い周期での大震災が起こっています。

お話してくれた方はこう言い切ります。**「今回の被害は『人災』だ」**と。 お話してくれた方の近くにアパートがあるのですが、そこは完全に流されたところよりも高いところです。 そこを建てる際、緑の地層が出てきたそうです。それが1000年前のもので、先ほどご紹介した貞観地震と同じ時期の地層。 その地層は、その場所まで津波が来たことを表しています。

そういうことを今の人は無視をして、津波があったところより海抜が低いところに家を建てまくった。それが1200世帯にもわたります。でも、それが今では壊滅してしまった。 先人の教えとして、その場所まで津波があったことを表しているのに、それを守らなかったからこれだけ大きな被害が出た、と。 この教えを守っていたら被害者は1/3まで減らせた、と言い切っておられました。

笑うってこと

トラック

車で石巻駅まで戻ってくる際、「ここは3mぐらいの津波がきた」とか「ここは4mだったな」と色々と教えてくれました。 この湾は全く被害がなかったけど、こっちの湾は壊滅的な被害を受けたとか。 ここは幼稚園のバスがあって中に何人も取り残されたみたいだよーとか。

驚くのはその表情。そういうことを笑って伝えてくれたのです。僕も笑うしかない。苦笑いだけど。

被災していない僕は石巻のそういう「何もないところ」を見て、気分が落ち込んでいました。 ここに居た人はキツいだろうな、とか。元は住宅があっただろう場所に無数の墓があるのを見て、いたたまれない気持ちになったりとか。

でも、案内してくれた人に出会って、その考えとか気持ちはちょっと変わりました。 本当に笑い話なんじゃないかなって。お話してくれた方は身内の方は助かったのもあったのかもしれません。 「第7波ぐらいの津波で『これはヤバい』って車で逃げてたけど、気づけば後ろにいた車がいなくなってたなー」なんて。 「ま、津波なんて夜中もひっきりなしに来てたから第○波なんてのは正確にはないらしいけどね、ハハハー」なんて。

僕はこういうことを聞いて「多くの人がなくなっているんですよ!?」なんて攻める気にも全くなりませんし、その権利もない。そしてその笑顔には正直なところ力をもらいました。こうして僕に3年前に実際にあったことを伝えてくれてる。

勝手に被災地に来て、勝手に落ち込んでる。話も聞かないで。 でも実際に笑って案内してくれる人もいるんですよね。

言い方は失礼かもしれないけど、笑い話じゃないけど、笑い話なんですよね。 岩手だったら25mの波があったとか。石巻では比べ物にならない津波があったとか。 そっちにいけばもっと生々しいものが見れたかもねーー、とか言われたり。

勝手に落ち込んでいるのは、「対岸の火事」状態にある僕らなんですよね、辛いことがったんだろうね、って。 僕はたくさんの方に話を聞いたわけじゃないけれど、少なくとも僕に話をしてくれたかたは笑顔でした。 上から目線で「あぁこんなことがあったんだよね、かわいそうだよね」って思って巡っているのは僕なんですよね。

こんなとこ見ても意味ないよ、って教えてくれて、かつ女川町立病院で体感させてくれました。

「なんにも変わってない」

笑顔なんだけど、この言葉を何度もおっしゃられてました。

「なんにも変わってない」

やっぱり変わってないんです。 あれから3年。仙台市内は震災があったとは思えない感じでしたし、仙台空港も何もないように思えた。

でも、「なんにも変わってない」と。

それは実際に被災された方にしかわからないものでしょう。

家はなくなったけど、石巻の沿岸は工業地帯というか、工場が結構出来てました。 でも、「なんにも変わってない」と。

ガレキはこの辺りからだいぶなくなったようですし、流されて放置された車もほぼなくなったようですが…。

その言葉の真意はわかりません。でも、その言葉は何かわかる気がしました。

実際にその手で触れて、肌で感じたからだと思います。 「なんにも変わってない」その答えは、現地で見るしかないのかもしれません。

話をずっと聞いて結局名前を聞くタイミングもなく、そして名乗ることも出来ませんでした。 駅に送ってもらったときも全てを遮るようにすぐに降りるように指示をされて、「またどこかで」って挨拶だけをして。

3年経ったけど、なんにも変わってない、んですよね。

ネットにある記事、マスコミが報道する記事。 マスコミはかなりデフォルメした記事を報道しているらしいし、今日僕がいった場所は報道規制がかかってるぐらいの場所だったらしいし。 ネットである記事は本当のことかもしれないけど、違うことだってある。それは実際に行ってみないとわからないことがあります。

この言葉を聞いたとき、これを思い出した。

-– 名前も何もわからない僕にたくさんのことを教えてくれてありがとうございました。 この記事を見てくれてるとは思えないですが…またあの場所へ会いにいきます。