「負けないエース」斉藤和巳が語る、2006年あの日のプレーオフ
2006年プロ野球の大きなハイライトとして、日本ハムVSソフトバンクホークスの日本シリーズをかけたプレーオフ2ndステージがあります。 2006年10月12日 北海道日本ハム-福岡ソフトバンク プレーオフ第2ステージ 第2戦 (札幌ドーム)|「最高の試合」「名場面・名勝負」|2010年NPBスローガン「ここに、世界一がある」スペシャルコンテンツ
プレーオフ第1戦を落としたホークスは、あと1敗すると敗退が決定してしまう崖っぷちでした。
そんなときに登板したのが中4日の「負けないエース」斉藤和巳投手でした。 2006年シーズン、斉藤和巳投手は2度目の沢村賞を獲得しています。 (ちなみに生涯成績79勝23敗、勝率.775で歴代1位の勝率を誇っています)
試合は9回裏、2アウト1・2塁からセカンド内野安打でホークスはサヨナラ負けを喫しました。 (ちなみに斉藤投手はこの試合で9回に初めてセカンドにランナーを背負うぐらい、完璧なピッチングをしていました。) 斉藤投手は立ち上がることが出来ず、外国人選手のズレータとカブレラに抱えられながらマウンドを降りていきました。
この試合について、古田敦也の プロ野球ベストゲームという番組で 先発した斉藤投手、そして当時日本ハムのヘッドコーチをしていた白井一幸さんを迎え、 古田さんと語ってくれました。
負けないエース
斉藤投手の最大の武器は自身の「フォーク」だと言います。そう、145kmのフォークです。 145kmのストレートを投げれないプロのピッチャーもいるのに、145kmのフォークです。
斉藤投手のフォークは第1関節ぐらいで浅く握るフォークで、「あまり落差がない」と言います。 (めっちゃ落ちてるんですがそれは…状態ですけどw)
ただ、この速いフォークに加えて、斉藤投手の身長の高さにも秘密があります。 192cmの身長から投げ下ろされるフォーク。それはこの年のフォーク「被打率.158」に繋がりました。 まさに打たれない決め球でした。
斉藤投手の大きな特徴として「闘志むき出しのピッチング」があるかと思います。 ただ、自身では「精神面はもろい」ようです。 登板の前日は胃が痛くなり、ひどいときは胃薬を飲むこともあるそうですが、 **「背負えるもんは逆に背負って行ったれ」**という想いもあり、その力強さに繋がっているようですね。
日本ハムの戦略
負けないエースに対して日本ハムが取った戦法は「ツーストライクアプローチ」です。 この試合、5回裏に日ハム打線は28球も投げさせました。
「ツーストライクアプローチ」とは、「たくさん球数を投げさせる戦法」です。
つまり、ツーストライクから粘って甘い球だけを打つ、という戦法。 もちろんいきなりその戦法を取ることができません。日ハムは春のキャンプから特訓してきたと言います。
バットを振って、腕が伸びきる「自分の前」で打つとボールは飛ぶのですが、 それをあえて自分の体に近いところまでボールを呼び寄せ、打つ方法です。 体に近いところで打つと、ボールがよく見えて粘ることが出来るのです。
ちなみにこの戦法に対しては斉藤投手は疲れの感覚がなかったといいます。 それは、シーズン中だったら気づいていたかもしれないけど、この試合に賭けていたものは大きくて目の前のバッターを打ち取ることに集中していたから、です。 徐々にこの戦法で斉藤投手はスタミナを奪われていきました。 そのとき5番を打っていた稲葉選手は「徐々にフォークが浮いてきた(打ちやすくなった)」言っています。
先頭打者をフォアボールで出塁させてしまい、2アウトながら1・2塁。 1球目がボールになり、斉藤投手にマイナスな考えがよぎります。 「先頭打者にフォアボールを出したからフォアボールはもう出したくないからストライク取りたい」と。
そこで斉藤投手が一番自信のあるフォーク(それは稲葉選手が狙っていた球)を投げましたが、サヨナラに内野安打となりました。
斉藤投手は崩れ、「その後は覚えてない」というほど頭が真っ白になったといいます。 自分の肩はどうなってもいいというほど、その試合に賭けていました。
そこには、その年も7月に胃がんという病に倒れた王監督とへの想いがあったのです。
王イズム
巨人軍V9の立役者。「勝つという思いは誰よりも強かった」斉藤投手がそう語る王監督。 温厚な人だが、実は試合(ベンチ)ではかなり熱い監督で、逃げ腰なことをすると相当しかられたと言います。
7月に王監督が病に倒れた際、「後は頼む」と選手会長の斉藤投手に託したそう。
斉藤投手はチームを必死にまとめますが、精神的な支柱「世界の王貞治」がいなくなったチームは、微妙に歯車が狂ってしまいます。 外国人選手のカブレラ・ズレータが成績を落とし、チーム内で微妙に孤立したようです。 それでも斉藤投手は二人を食事に誘ったりして、気を使ってケアをしてチームを立て直します。
あの試合、負けて立ち上がれなくなった斉藤投手を抱えたのはカブレラ・ズレータの両選手。 (ちなみにそのときは覚えてなく、誰につれていかれたかわかっていなかったそうです) 斉藤投手は「外国人選手に気持ちは伝わったのかな」と語ります。
この翌年2007年、だましだまし投げていましたが、 肩がついに悲鳴をあげて6年に及ぶリハビリ生活が始まります。
「後は頼む」と言われるほど王監督との信頼関係があった斉藤投手。 引退を決めたとき、斉藤投手は王監督にこう言葉を贈られます。
波乱万丈だったな。でも、今後何かに絶対に繋がる
病に倒れたあの年、斉藤投手は王監督が病室で頑張っているからオレらも頑張らないと、と必死にチームをまとめていました。 この2人には見えない絆があるのではないでしょうか。
プロ野球で一番好きな選手、そして試合
僕はプロ野球の中でやはり斉藤投手が一番好きですね。 全盛期はたったの4年。(2003年〜2006年) その4年で64の勝ち星を積み上げました。(16敗)
あのダルビッシュをして「憧れの投手」と言われる斉藤投手。 (あのダルビッシュも憧れた、斉藤和巳という大投手 :日刊やきう速報@なんJ)
今年の田中将大投手の「24勝0敗1セーブ」という圧倒的な記録もすごいですが、 こうして最後に死力を尽くして負けてしまい、その試合が肩に響いてリハビリに…なんてどんなドラマでも書けない。
あのピッチングフォームとあの闘争心、すげーかっこいいです。
この試合、今見ても泣けます、マジで。
おあとがよろしいようで。